野田のさぎ山


サギの親子(田中徳太郎氏撮影)
出典:『見沼その歴史と文化』
編集/浦和市立郷土博物館

見沼たんぼとサギとは、深い関係にあります。
見沼の東部地域、野田にはかつて「野田のサギ山」と呼ばれる1.4haものサギの営巣地がありました。

この地にサギが営巣するようになったのは江戸時代中期、徳川吉宗が将軍であった享保年間のことです。
当時浦和周辺は紀州徳川家の鷹場であり、なかでもさぎ山は御囲鷹として特別に保護されていました。

泳ぐことのできないサギにとって、底が浅い水田は格好の餌場となります。
広大な見沼たんぼは、ドジョウ等の魚介類や昆虫類の宝庫であり、多くのサギが営巣しました。
訪れるサギの種類はチュウサギ、コサギ、アマサギ、ゴイサギ、チュウダイサギの5種でした。

野田のさぎ山は明治・大正の頃は禁猟区として保護され、昭和13年(1938年)には国の天然記念物に、昭和27年(1952年)には「野田のサギおよびその繁殖地」として国の特別天然記念物に指定されました。
昭和32年(1957年)頃に営巣は最盛期を迎え、巣の数は6000個、親鳥だけで1万羽、ヒナを合わせると3万羽にもなりました。
遠くから見ると、雪を散らしたかのように林が真っ白に見えたということです。

しかし、昭和40年頃からその数は激減し、ついに昭和47年(1972年)にはサギが営巣しなくなり、250年間にわたるその歴史に幕を閉じました。
これにともない昭和59年(1984年)には、国の特別天然記念物の指定が解除となりました。

サギが営巣しなくなった原因は定かではありませんが、農薬の使用による餌の減少、住宅の増加による竹林の減少、道路整備による交通量の増加、餌場となる水田の減少などにあると考えられています。

現在、この地には「さぎ山記念公園」があり、園内にはサギ山の歴史について伝える「さぎ山記念館」があります。

『さぎやまの記并歌』

(厚沢氏蔵)安政2年に、厚沢家の先祖が
サギ山を襲ったワシを退治した褒美に紀州徳川家が拝領したもの
出典:『見沼その歴史と文化』 編集/浦和市立郷土博物館