見沼たんぼの歴史

自然の時代 縄文時代~江戸時代初期

中川流域の池沼跡分布図
中川流域の池沼跡分布図

古代、海面は現在よりも高く、現在見沼たんぼのある地域は東京湾とつながる入江であり、旧浦和市域の3分の2が海底にありました。 この地が海であった証拠に、見沼たんぼ周辺では縄文時代前期の貝塚が数多く発見されています。
その後、約6000年前を境に海が後退し、入り江が東京湾と分離して、無数の沼・湿地が生まれました。見沼の誕生です。

溜井の時代 江戸時代初期~中期

江戸時代初期、 徳川家康 とくがわいえやす の命により、江戸湾に流れ込んでいた利根川を銚子へ通す利根川東遷とねがわとうせん と荒川の流れを統合して耕地を安定させる荒川の西遷せいせんが始まります。この大土木工事は代官頭伊奈備前守忠次いなびぜんのかみただつぐを始めとする伊奈一族により行われました。  

利根川東遷(とねがわとうせん)と荒川西遷(あらかわせいせん)
利根川東遷・荒川西遷

この事業により、下流地域の水害の危険度は著しく低くなりましたが、その代わりに農業用水も不足するようになったので、貯水量を確保するために、 伊奈忠治 いなただはる により築造されたのが見沼溜井みぬまためいです。

八丁堤が作られる前・八丁堤が作られた後

見沼溜井みぬまためいの築造は、寛永6年(1629年)に、見沼南端の両岸の距離が最も狭くなっているさいたま市の附島と、川口市の木曽呂との間に堤を築き、見沼への流入水を堰き止めることで行われました。この堤は長さが8町(約870m)あったことから、「八丁堤はっちょうづつみ」と呼ばれています。 こうして、用水を貯めるために周囲40数km、面積1200haに及ぶ、平均水深1mの見沼溜井みぬまためいが完成しました。

田圃の時代 江戸時代中期~戦後

干拓から230年間ほどの見沼たんぼ

見沼たんぼが開かれたのは江戸時代中期、徳川吉宗とくがわよしむねの時代です。
徳川吉宗 とくがわよしむねによる幕府の財政改革(享保の改革きょうほうのかいかく)のため、土木技術家・ 井沢弥惣兵衛為永 いざわやそべえためながに、数多くあった池沼の新田開発が命じられました。
その一つとして、享保12年(1727年)に 八丁堤はっちょうづつみを切って見沼溜井みぬまためい が干拓され、見沼たんぼが生まれました。
そして、干拓された 見沼溜井 みぬまためい の代わりとなる農業用水の確保のため、利根川から約60kmに渡って用水が引かれ、 見沼たんぼの 西縁 にしべり 東縁 ひがしべり の台地にそって水路が掘削され、農業用水が供給されました。
これが 見沼代用水 みぬまだいようすい です。
見沼たんぼが開かれてから、今日まで稲作が行われており、特に戦後は食糧増産を支える貴重な農業生産の場となりました。

水田からの移行期

昭和21年の見沼たんぼ(米軍撮影)
この空中写真は、国土地理院長の承認を得て、
米軍撮影の空中写真を複製したものである。
(承認番号 平25情複、 第421号)


見沼たんぼの農地面積の推移

長い間、水田として維持されてきた見沼たんぼですが、1950年代に入り、高度経済成長期をむかえると、東京都市圏の拡大に合わせて開発の圧力が高くなり、一部で住宅建設や学校・道路など公共施設への土地利用の転換が行われるようになりました。

ちょうどその時期にあたる昭和33年(1958年)9月、 狩野川台風 かのがわたいふう が関東地方を襲いました。
この台風により、芝川下流域の川口市市街地が浸水するという大きな被害が発生しましたが、この時、見沼たんぼが自然の貯水池となって水を受け止めたため、下流の被害を抑えることができました。

このことで、見沼たんぼの遊水機能が注目され、昭和40年(1965年)には、宅地化は原則として認めないとする「見沼三原則」が制定され、主に治水上の観点から開発抑制策が講じられるようになりました。


「大規模緑地空間」としての保全・活用の時代

その後、昭和45年(1970年)から米の生産調整により、水田から畑地への転換が始まりました。
さらに昭和55年(1980年)頃からは著しい都市化や営農環境の変化により、農地や見沼たんぼの周辺に残されていた斜面林も減少するなど、見沼たんぼの土地利用がが大きく変わりはじめました。
また、農業の後継者不足から耕作放棄 地が増加し、建設残土等の投棄が行われるなど、土地利用の混乱もみられるようになりました。

しかし、一方では首都近郊に残された数少ない大規模緑地空間として見沼田圃を保全していこうという動きが活発になり、こうした状況を踏ま え、平成7年(1995年)4月に、『見沼三原則』に代わる新たな土地利用の基準として『見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針』が策定されました。
さらにこれを受け、平成10年(1998年)には、土地の買取りや借受けによる荒れ地化の拡大や新たな開発を防止して見沼たんぼの保全を図るために、公有 地化推進事業が始まりました。

これからの見沼 ~見沼新時代~

見沼たんぼは、人と自然の共生、都市と自然の共存という新たな段階の時代を迎えています。農業生産の場を維持しつつ、市民共有の環境資産として認識する時代、すなわち「見沼新時代」です。  

長い歴史に育まれた見沼たんぼ独自の自然、歴史、文化を、これからも市民のかけがえのない環境資産として大切に守り育て、後世へと伝えていかなければなりません。