見沼たんぼの文化

見沼通船堀

見沼通船堀は、見沼代用水周辺の村々と江戸との水運を可能にするために、井沢弥惣兵衛為永 いざわやそべえためなが によって開削 かいさく された、見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門式 こうもんしき 運河です。
2本の見沼代用水に比べて、芝川は3m低い位置を流れています。そのため、このままでは見沼代用水と芝川の間の急な水位差を登ることはできません。
しかし、途中に2カ所ずつの関(閘門)を設けて水位を調節しながら船を上下させるこの仕組みにより、 芝川と見沼代用水との水位差を克服することができました。
昭和57年7月に国指定史跡に指定されています。

参考:第4回世界水フォーラムにご出席された皇太子殿下の基調講演(宮内庁ホームページ)

見沼の信仰

江戸名所図絵 三室村元簸川神社(氷川女体神社)
江戸名所図絵
三室村元簸川神社(氷川女体神社)

見沼たんぼ周辺には、氷川神社(大宮区)、氷川女体神社(緑区)、中山神社(見沼区)の古い3つの神社があります。このうち氷川神社は、かつての武蔵国を中心に数多く分布する氷川神社の総本社とされています。
この3社は、いずれも見沼を見下ろす台地上に立地しており、氷川神社を男体社、中山神社を王子社、氷川女体神社を女体社として一体のものとする説があります。いずれにしても見沼が氷川神社の成立に関わる重要な位置を占めていると考えられています。

見沼の竜伝説

見沼には古くから、竜神の伝説が多く残っています
人々の生活に幸せをもたらすこともあれば、時には災いももたらす「水」。その化身が「竜」だったのでしょう。

国昌寺の開かずの門
国昌寺の開かずの門
見沼の竜(伝 左甚五郎作)
見沼の竜(伝 左甚五郎作)

見沼の竜神

見沼代用水の工事をしていた井沢弥惣兵衛為永のもとに、美女に化けた竜神が現れ、「沼を残してほしい」と願いました。
干拓で住みかを無くす竜神のために弥惣兵衛為永は万年寺に神灯を掲げ、「竜神灯」と名付けてその霊をなぐさめました。
この神灯は毎夜、美女(竜神)自身によって灯されたと言われます。

開かずの門

国昌寺の門の欄間には、木彫りの竜が彫られています。
左甚五郎という職人が見沼で暴れる竜を封じるために彫ったものです。
この封じの竜が掲げられたあとは、竜はおとなしくなったそうです。
しかし、ある時葬列がこの門をくぐった際、棺から遺体が消えてしまいました。
「竜が遺体を食べた」と大騒ぎになり、 それ以来、寺はこの門を閉ざしてしまい、「開かずの門」と呼ばれるようになりました。
現在も一定の日以外は、門は閉ざされたままです。

蓮を作ってはいけない

見沼では蓮を作ってはいけないと言い伝えられてきました。
その理由は、氷川女体神社の祭神、クシイナダヒメが、戦の際に蓮の茎で眼を突き、負傷したためだと言われています。

美女の竜神と山口弁天

足を痛めた美女に出会った一人の馬子 まご が、彼女を送ってやると、女はお礼に小さな小箱を「決してあけないでください」と言いながら渡し、去りました。
その後馬子の家には幸運が相次ぎました。
しかしある日、約束を破り小箱を開けてしまうと、中には一枚のうろこが入っていました。
そしてそれ以降、今度は不幸ばかり起こるようになりました。
家のものは、「美女は竜の化身で、箱を開けたことに怒っての仕打ちに違いない」と考え、祠を作り弁天様を祀りました。
現在山口橋のそばにある山口弁天が、その祠です。

見沼の文化財

南部領辻の獅子舞
南部領辻の獅子舞

見沼たんぼ周辺には、国指定史跡である見沼通船堀、市指定有形文化財である国昌寺門、市指定天然記念物である円蔵院のシダレザクラ、市指定無形民族文化財である南部領辻の獅子舞など、数多くの指定文化財があります。

下記リンクから、このような見沼たんぼ周辺に分布している国、埼玉県、さいたま市の指定文化財の一覧表がみられます。
文化財の説明はさいたま市のホームページへリンクしています。