7. 寿能城址

大宮第二公園の西側に出て再び見沼代用水西縁に沿って進み、代用水が急に左に曲がる地点の直前の通りを左に折れると、寿能公園(寿能城址)が見えてきます。
寿能城は太田氏岩槻城の支城にして、東西に800m、南北に500mの平城ですが、三方を見沼に囲まれた自然の要害であることから「見沼の浮き城」と呼ばれました。
築城は1560年、太田資正の四男潮田資忠が初代領主でしたが、1590年岩槻城と共に落城、いまでは本丸跡である公園内に資忠の墓がひっそり建っています。