見沼たんぼコラム

見沼・さぎ山交流ひろば

加倉井 憲一さん
加倉井 憲一さん
NPO法人エコ.エコ 代表理事

サギの生息地が1938年に天然記念物に指定され、1952年に「野田のサギおよびその繁殖地」として特別天然記念物に指定されていました。営巣数は約6,000で、1957年ごろには最盛期を迎え、親鳥が1万羽、雛を合わせると3万羽を数えました。昭和40年代になると、周辺の都市化の影響などにより激減し、見沼の水田の畑作化から宅地化に伴う餌場の減少、農薬汚染、交通量の増加や竹林の枯死など複数の要因で1972年には営巣しなくなりました。
その後サギが営巣しなくなったことから1984年に指定解除されました。緑区のさぎ山記念公園はこのサギ山を記念し、名前が永久に残るように当時の浦和市が公園として整備することに決定し、1986年5月10日に開園しました。

見沼・さぎ山交流ひろばはここを拠点に活動しています。多くの方に見沼たんぼの魅力を知っていただきたく、交流ひろばに参加しているメンバーと協力し、見沼たんぼの魅力を市民の方々に伝えるため、農業体験、自然散策、観察会など多彩なプログラムを実施します。

今年度より、見沼・さぎ山交流ひろばの会長を務めることとなりました。今後より一層見沼たんぼの魅力を感じ、交流を深めながら楽しんでいただけるよう積極的な活動を展開することで、交流ひろばの発展に貢献したいと考えています。

見沼田んぼの斜面林はさいたま市の宝

斜面林と見沼代用水と水田の三位一体の景観が代用水東縁にどのくらい残っているのかを体験するために南部領辻の国昌寺から七里自然公園までの約5キロメートルを歩いてみました。国昌寺から七里総合公園までの見沼田んぼの東側は西側に比べて農業用地として田んぼが残っており、斜面林も西縁に比べて多く残っている地域です。

見沼たんぼの洪積台地には斜面に沿って線状に雑木林が連なっており、見沼の斜面林として知られています。斜面林は、貴重な動植物の生息生育環境を提供すると共に、周辺農家の住宅地の環境を調整し、見沼代用水と水田と三位一体でその景観が出来上がりました。斜面林の主要な構成樹種としてはシラカシ、コナラ、クヌギ、アカシデ、イヌシデ、ムクノキなどが見られ関東地方の雑木林の景観を残しています。

斜面林では、多様な生物が生息する豊かな生態系が保持されています。 台地の斜面に位置するため、最大でも10~15メートル程の高低差の斜面では、ロームの台地の上部では水はけが良く、下部ではローム層の粘土層からの湧水が生じ、田んぼを潤したのです。また、斜面のため、実際の面積が広く環境・生物多様性にとっての価値は高く、キンラン、ギンラン、シュンラン、イカリソウなど貴重な植物が生育しています。


国昌寺から歩き始めると右手に緑豊かな斜面林が広がります。さいたま緑のトラスト1号地です。約1ヘクタールの土地に竹林と雑木林・混交林が広がります。さいたま緑のトラスト協会のボランティアの方々が月2回保全活動を行っている場所です。

その西側にはヨシ原がありオオヨシキリがさえずっていました。ここがNPO法人エコ.エコが保全活動を行っている湿地(休耕田)でヨシとススキで作った16メートルの龍があります。この龍は生物多様性のシンボルとして制作したものです。この材料であるヨシの稈(中空の茎)の中に絶滅危惧種の寄生蜂が確認されました。この周辺ではヨシやススキが生育する環境が激減したために多くの動物や植物が絶滅危惧になったのでしょうか。

そこを過ぎると総持院になります。この場所の斜面林は消失しコンクリートの土留めと墓地になっています。そこを越えるとすぐに鷲神社の斜面林です。八幡太郎義家由来の伝統ある神社です。鷲神社の東側にも「しまはたけ」を挟んで斜面林が続いています。この「しまはたけ」で耕作している地元の方はわずか2軒で、畑のほとんどは高齢化などを理由に遊休地になっています。見沼田んぼで抱える課題の一つでしょうか。
NPO法人エコ.エコは「里山.Com」という名称で親子の畑体験を行っています。調査活動の最中にムツトゲイセキグモという絶滅危惧種の繁殖を確認しました。農薬を使わない農業が貴重な生命を増やしているようです。


五斗蒔橋を過ぎるとさいたま市立野田小学校になり斜面林が続きます。上野田氷川神社の周辺は照光寺の斜面林もあり深い森を形成しています。

しばらく歩くと見沼自然公園になります。ここは昔田んぼだったのですが、今は多くの人出のある公園になっています。

この東側にはキャンプ場があり多くの利用者があるそうです。ここも昔は斜面林でした。

大きくカーブを曲がると慶応大学の薬草園の斜面林があります。この薬草園は自由に見学が可能で、日常ではみられない植物がゆっくり観察できる薬草好きな人には格好な場所です。


締切橋を越えると田んぼが広がります。加田屋田んぼです。江戸時代板東家(加田屋)が新田開発した場所です。ここではNPO法人見沼ファーム21はじめ、いくつもの団体が田んぼ体験を行っています。

膝子芝宮から膝子下に斜面林がありますが日光お成り街道が用水に迫っているためやや薄い斜面林です。それでもここが唯一三位一体の場所、昔の斜面林と用水と水田が残っている場所です。

道路沿いにぽつんと小さなお堂が建っています。見沼弁財天です。井沢弥惣兵衛は、見沼代用水を開いた際に、水路沿岸の要所に弁天社を祀り、水路の安定と豊作を祈願したそうです。このような弁天社が7箇所あったことから、総称して「見沼七弁天」と呼ばれていたようです。

ここから数カ所斜面林がありさらにお成り街道が代用水に接近しています。左側に七里総合公園のあし原がみえ、東縁の見沼田んぼも終わりました。


この5キロメートルの区間は見沼田んぼの原風景をとどめている場所で将来的にも多くの人々の協力によって保存していきたい場所です。是非、散策してもらいたい場所です。
この見沼田んぼでも農業従事者の高齢化に伴い遊休地が増えています。景観・農業・自然保護を総合的に考慮し、真の意味での見沼を創り、次世代に手渡したいと考えます。